2001a, p. 27、陶磁器のスイレン鉢(や火鉢)にも浮かべる[4][8]。一般の(横見の)水槽での栽培にはこうした浮草より根を張る種類の水草が適している[4]。, またホテイアオイの繁殖力を生かして、水中の窒素分などをこの植物に吸収させることを目指して、水質浄化のために利用しようとの試みもあるが、多くの場合、繁殖した植物体をかき集めて処理する手間がかかるために永続性に欠け、水域に投入しただけで環境に良い事をしたつもりになって放置しているケースも目立つ[9]。むしろ、いくら閉じこめたつもりでも、少しでも外に出れば大きな問題を引き起こすような外来種を、水質浄化など、環境対策として用いることは環境浄化の方法として好ましくないと、多くの専門家が批判している。, メタンガスなどバイオ燃料の資源としての活用が研究され、期待もされている[10][11]。, 海外各地では、蔓を編み込んで再生紙、家具、ランプシェード、籠やバッグ、ロープなどに利用など、起業者やNGO等がビジネスとしての成立を試みている[12]。, 家畜の飼料としての商業化も試みられている[12]。ブタ、カバなどの草食哺乳類の餌となる[どこ? 3(3):285–300. [10], Water hyacinth removes arsenic from arsenic-contaminated drinking water. It is the sole species of Pontederia subg. 99–121. ]。, ホテイアオイの研究者で、名水の研究家でもある石井猛と共同で、ホテイアオイ焼酎『おいさあ』を開発した[13]。, 世界の熱帯・亜熱帯域に帰化し、日本では、本州中部以南のあちこちで野生化している。寒さに弱く、冬はほとんど枯れて悪臭を放ち地域の迷惑となるが、一部の株がわずかに生き延びれば、翌年の春~秋場にかけて再び大繁殖する[14]。もともと繁殖力が強く、富栄養化した水域ではあっという間に水面を覆い尽くす[15]。のみならず、このように肥料分多くなると、個体の大型化もみられる[16]。, 結果、水の流れを滞らせ、水上輸送の妨げとなり、また漁業にも影響を与えるなど日本のみならず世界中で問題となっている[17][18][19]。, この植物の大繁殖によってインドの西ベンガル州の漁業は大打撃を受けた(1950年代に推計45,000トン)[20]。そのためベンガル地方では「(美しき)青い悪魔」と恐れられ[21][22]、インドの他所では「ベンガルの恐怖(テロル)」と忌み嫌われた[23]。バングラデッシュでは世界第二次大戦の始めにドイツが意図的に移植させたという俗信から「ドイツの雑草(ジャーマンウィード)」と呼ばれ、スリランカでは逆に日本軍の軍機を危険な着地に誘い込むため英国が植えたという事で「日本のトラブル」と呼ばれた[23][21]。南アフリカや南米の一部での異名は「フロリダの悪魔」である[23][21]。, 冬季に大量に生じる枯死植物体も、腐敗して環境に悪影響を与える。さらに、水面を覆い尽くすことから、在来の水草を競争で排除する事態や水生動物への影響も懸念される[2]。また、アレロパシーも有する[1]。, このため、国際自然保護連合(IUCN)種の保全委員会が作成した 世界の侵略的外来種ワースト100(100 of the World's Worst Invasive Alien Species)[24] に選ばれている。ただし、日本ではホテイアオイは特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律において、特定外来生物には指定されていない。これには後述の通り、見解がまとめられていないことが挙げられている(ただし要注意外来生物には指定されている)。, 世界各地では侵略的外来種とされるがゆえ、生物的防除法も試みられており、防除用生物としては二種のゾウムシ(Neochetina bruchi、Neochetina eichhorniae)やツトガ科(英語版)の一種(Niphograpta albiguttalis、=Sameodes albiguttalis)がよく知られる[25][26][27]。, 米国ではホテイアオイと同じミズアオイ科の在来種(アメリカコナギ属×6種;およびポンテデリア・コルダータ(英語版)、ナガバミズアオイ)があり、いずれも絶滅危惧種ではないものの[28]、これらの食害が懸念される昆虫等は、防除用生物としての利用実施に慎重性が要求される[29]。ウンカ科(英語版) の一種(Megamelus scutellaris)は、2010年には米農務省によりホテイアオイの防除用生物として放虫され、食草選好性も確認されてホテイアオイ駆除への期待が持たれている[30]。, ミズアオイ科の在来種への懸念から米国では使用が保留されている一例が、南米原産の半翅目カスミカメムシ科(英語版) Eccritotarsus catarinensis である[31]。このカスミカメムシは南アフリカや中国ではホテイアオイ対策としてすでに放たれているが、それはこのカメムシが害する他のミズアオイ科がこれらの国では外来種だったり、稲作の害種扱いだったりしたためである[31]。, 南アフリカで生物防除剤としての可能性が試されている[32]半水棲のバッタ (Cornops aquaticum)[32][注 2]。, 日本へは、1884年渡来説が通説のようになっているが[3][34]、実際にはこれより前に日本に渡来していたことが指摘されている[3]。歌川国貞 (三世豊国、1865年没)の作に、ホテイアオイと金魚、美女を題材にした浮世絵があり、1855年の作と鑑定されている[35][注 1]。, 米国へのホテイアオイの侵入については諸説あるが[注 3]、1884年、米ルイジアナ州ニューオーリンズ市の万国博覧会(万国工業兼綿百年期博覧会(英語版))で展示されていた事例が確たる最古例とされ[40]、通説のようになっている。しかしこれを根拠に乏しい地元伝説と捉える向きもある[41]。, さらには、当博覧会で日本人代表団がホテイアオイを土産物として配り、これが拡散につながったという説明を加える文献も多い[42][44]。, 20世紀前半の多くの文献では、1884年博覧会よりの拡散があったとしても、特に日本人の手によるものだとはしていない[45][46]。いずれかの時期において(傍証がまったく示されずに)日本人の関与が主張されるようになった。, 1940年付の軍部工兵(military engineer)向けの雑誌の記事においても、特に日本人による行為とはしていないが[注 4][47]、1941年にルイジアナ州保全省野生生物漁業局の局長だったジェームス・ブラウン少佐が執筆した記事に、"博覧会では日本政府が日本館を出展しており、...その日本人スタッフがベネズエラより相当数のホテイアオイを輸入し、無償で配っていた"と記述した[注 5][43]。, その後学者論文などでも"ベネズエラのオリノコ川から"採集や輸入がされた、などと同様の内容に触れている[注 6]。, このうち、ある論文は、博覧会出席者が土産品を無造作に水路に投げ捨てられたために大繁殖が起こってしまったとするが[51]、ある生物学者の記事は、園池で栽培していたもの敷地外の場所でも自生するようになってしまったと説いている[52]。, 児童向け作家のキャロル・マーシュ(英語版)(1992年)は、このとき日本人が種子("seeds")を配っていたものと特定しており[53]、米南部の語り部ギャスパー・J・"バディー"・ストール(1998年)は、"パッケージ入りの種を"配ったとした[54]。, すでに1884年には、ホテイアオイの種苗は米国内で販売されていたことが指摘されている。こうした業者による増殖問題への貢献度の程は推し測ることはできないが、最初に持ち込んだという点でいうならば筆頭に挙げられるという[55]。, その実例が、米ニュージャージー州ボーデンタウン(英語版)の Edmund D. Sturtevant 社発行、『 Catalogue of rare water lilies and other choice aquatic plants 』(1884年版)で、この種苗販売カタログにホテイアオイが掲載されているという[55][注 7]。, そしてドイツの会社も視野にいれるなら、ハーゲ・ウント・シュミット社(ドイツ語版)は、創立1864年以来のカタログでホテイアオイを販売しているという[55]。, さらには『ハーパーズ・ウィークリー(英語版)』誌(1895年)によれば、ニューオーリンズ市在住の某男性がホテイアオイをコロンビアで採集して持ち込み、これがルイジアナ州で大繁殖した、と説明している[56]。, 初期の駆除例としては、1890年頃、ルイジアナ州の材木業が機械的な駆除を試みているが、ピッチフォーク突き刺して河岸にすくい上げるという方法だった[57]。, ホテイアオイの密生は、河川に閉塞しボートや貨物船の交通の便をさまたげ、魚類が死滅するなどの害を及ぼす[18]。ルイジアナ州でも、それらの弊害をもたらし、19世紀末か20世紀初頭には顕著な問題と化していた[42]。, 1890年頃に侵入が始まったフロリダ州では[58]、やがて推定50 kg/m2の面積の水路を覆いつくしたといわれる[59]。そしてセントジョンズ川の閉塞など事態の深刻化に至り、1897年、中央政府から軍部工兵(アメリカ陸軍工兵司令部)の対策班が募られ、フロリダ・ルイジアナなどメキシコ湾岸各州に派遣されてホテイアオイ駆除に当たるはこびとなった[注 8][61][60]。, こうして20世紀初頭、米国旧陸軍省(工兵司令部)が駆除実験をおこない、蒸気・熱湯放出、塩酸・硫酸・石炭酸(フェノール)散布、および石油散布と放火による手段が試されたが[注 9]、満足な結果は得られず、塩分は効果的だったがコスト高とされ、結局 Harvesta という会社が開発したヒ酸を主成分とする除草剤に白羽の矢をたてる始末だった[62][63]。, 1910年、当時社会問題となっていた食肉不足とこのホテイアオイ問題を一挙に解決しようという法案がだされた[42]。起案者はルイジアナ州選出議員のロバート・F・ブルサード(英語版)で、発案や推進にはアフリカに詳しい探検家のフリッツ・デュケイン や、南アメリカの軍人フレデリック・ラッセル・バーナム(英語版) が関与していた。アフリカからカバを移入して大規模牧場をつくり、その動物にホテイアオイを食べさせ、肉を食肉市場に出そうという法案で、米国議会の可決まであと一票で廃案になった[42]。結局、南部は沼沢地を干拓し、牧草地化して肉牛を飼育することで、食肉不足を解消することとなった[42]。, ルイジアナ州では N. eichorniae 種のゾウムシが、ホテイアオイの増殖のけん制に相当効果的であった。個体の全長、重量、根の長さが衰え、子株の生産の減少もみられた